利用可能性ヒューリスティック
こんばんわ。最高位戦の阿部柊太朗です。
皆さんの身の回りにはこういったLINEを異性に送っている方はいないでしょうか?
2000年代を彷彿とさせる旧式的な顔文字とおーい生きてる?のコンボはコーヒー☕️とごはん🍚くらいいかつい組み合わせです。
これは
「脈が無い恋愛にガッツリ付き合った結果 | twister」
というブログの画像の一部です。
稲田という恋愛的にサイコパスな男がルイさんという女性に恋をして、筆者がそのキューピットとして奮闘する話です。
この話…
マジで面白いので読んでほしいです
語彙力が著しく低下しましたが、僕の持ちうるボキャブラリーでは言い表せないほどおもれーです。マジで。いやマジで。
僕が一番好きなのはデート中に歯ブラシを買いにムラサキスポーツに行くくだりです。
意味が分からないと思いますが、これだけで興味をそそられませんか?
少し長い文章ですが、校長の朝礼よりは有意義な時間になることを保証します。大体がそうか。
と、いうことで前回に引き続き今回も文章の話を。
ありがたいことに、先日私が執筆した私設リーグの観戦記を、観戦記者としても名高い最高位戦の鈴木聡一郎さんに読んでいただきお褒めの言葉を頂戴しました。
身に余る光栄です。
これを機に、もっと文章を書く機会が欲しいと思い、こうしてブログを始めました。
そうなると日常から何かネタはないかと常に気になった言葉や情報をメモに取るのが習慣になりました。
いつかどこかで使ってやろうと思って書き溜めているのですがら
「これはほとんど使う機会がないだろう...」
というものを今回は消化しつつ紹介したい思います。
という言葉を聞いた事はあるでしょうか?
ないでしょうね。ないと言ってください!
あるなら、今日のブログは何一つ目新しい情報は無いので今すぐブラウザバックして、シャドウバースでもやっていて下さい。
「うちー、むずいことばとか、まぢいみふなんですけど。ちょべりばー。てかクラブいかね?」
みたいな人は難しい話ではありませんので、クラブにはいかないで下さい。
行動経済学の用語で
直近の大きな出来事や印象的な事件が原因で客観的確率と主観的確率に差が生じること
を意味します。
なるほど、分からん。
分かりやすく例えましょう。
飛行機に乗ると墜落しないか不安になる人いるかと思います。
しかし実際に飛行機の墜落事故などというものは滅多に起こりません。
むしろ自動車の方が事故率は圧倒的に高いです。
にも関わらず、自動車に乗る時に事故に合わないか心配だなぁと考える人がいないのは何故でしょう?
何となくお分かりの方もいるかと思います。
飛行機事故のニュースや映像というのはセンセーショナルなものが多いですね。
そのため飛行機の事故のイメージというのは強く脳に残ります。
そうなると、いざ自分が飛行機に乗った時にそのイメージが呼び起こされて恐怖心を煽る訳ですね。
ジョーズが流行った時期に海水浴客が減ったというのも似たような話です。
このように
実際に起こり得る確率=客観的確率と
このくらい起こるだろうと自分が思う確率=主観的確率
の間に乖離が生じて、バイアス(偏見)がかかる現象を
利用可能性ヒューリスティックと言います。
実は麻雀においても大事な要素の一つで、
「字牌で放銃した後は、リーチに1枚切れの字牌を切るのが怖くなり、ド無筋を切ってしまう。」
みたいな事が起こります。
主観的な確率では2mの放銃率<白の放銃率
となってしまっている訳ですね
直前の何かしらの印象的な放銃により客観的な確率と誤差が生じてしまったのでしょう。
逆に言うと
主観的な確率と客観的な確率の擦り合わせ
こそが他ならぬ麻雀の勉強というやつではないでしょうか。
主観的に確率において
和了率50%の1000点
和了率30%の8000点
と考えた場合、得なのはどちらか言うまでもありません。
しかし客観的確率では
和了率50%の1000点
和了率5%の8000点だったとしたらどうでしょう?
満貫の和了率を大きく見積もりすぎて損な選択をしていると言わざるを得ません。
麻雀が強いと言われている人の中でも狙う打点や手組みは異なりますが、ここまで大きな差のある選択を強者は間違えないでしょう。
こうした放銃や和了逃しを繰り返しポイントを失うことで痛みを味わい、主観的確率を客観的確率に近づけていく。
即ちバランス感覚を磨いていく。
これが麻雀の勉強ではないでしょうか。
ところで、冒頭のLINEを送った彼。
彼の中では恋愛の成就率が70%程度あると思っていたのでしょう。
客観的確率はどうですかね?
1%もあるかな?
彼もまたバランスを矯正する必要がありそうです。
<了>